この世に二人だけ







 髪を切ったら、却って面倒なことになった。下ろしても編んでもあまり自分に似合うと思えなかった長い髪は、無くなった途端に妙な存在感を持ちはじめた。道行く人にじろりと見られるのには、すぐに慣れたものというふりができるようになったが、ちょっと知った間柄の一人一人に何故そんなに短く切ったの、と訊かれるのにはさすがの敦子も参ってしまった。
 邪魔だったからですよ、としまいには一言で答えるようになった。それだけ? それだけです。
 それだけなら笑って言える。嘘ではないし、それ以外の理由を自分の裡に探してみても、敦子は何も見つけられなかった。確かに切りたい、短くしたいと思ったから切ったのだけども、何かそんなに特別な理由があったかしらと。それよりも、と疑いの方向を変えて、それだけではいけなかったのかしら、髪を短くするというのは、そんなに怪訝しなことだったかしらと。
 ちょっとは知った間柄だと思っていた人たちにあんまり驚かれるので、敦子の方が驚いてしまった。次に落ち込んで、悲しくなり、怒り、最後に依怙地になった。若い髪はすぐに伸びる。少しでも長いと感じる度に、敦子は短く切り揃え直した。誰も驚きも責めもしなくなっても切り続けた。それ、よく似合いますね、と褒めてくれた人もいたが、たとえそれが心からのものであれ、敦子はつくり笑いを変えなかった。短い髪に注目すること自体、許せなくなっていた。何も怪訝しなことはないのに。何も特別なことではないのに。何故貴方にそれを指摘されなければならないの。腹を立てる筋合いではないと十分理解はしていたから、敦子はつくり笑いは変えなかった。
 その笑い方を、忘れてしまったんだろうかと敦子は訝しんだ。そして、そうではないと気がついた。無理に笑いをつくる必要がないから、気に障らないから、笑っていないのだった。
「敦子さんの髪って、素敵ね」
 そう言った人は笑っていた。お人形のような目を細めて、羨ましそうな手つきで敦子の髪をふわふわと撫ぜた。
「私も短くしてみたいわ。でも似合わないわね、髪が細いから」
 その人の髪は艶やかに黒く長く、敦子の髪とは似ても似つかない。お人形の髪を鋏で散切りにしてしまい、真っ青になった子供時代の記憶がよみがえり、敦子は思わず縋るような声をあげた。
「切らないでください。私は、布由さんの長い髪が好きなんです」
 お人形は少しびっくりしたように目を瞠った。感傷的な連想に敦子が顔を赤らめると、その口元が飴のようにゆっくりたわんで、可笑しそうな、嬉しそうな笑みを形作った。
「敦子さんに好いて貰えるなら、長いのも悪くないわね」
 私もです。私もです。飴細工の微笑みに見とれながら、敦子は心の中で力一杯叫んだ。
 貴女にそう云って貰えるなら、私は特別でもいい。変わっていてもいい。貴女に好いて貰えるなら。



End.






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