レーグル・ド・モーがボシュエになるわけ


 禿頭の会員というのは、そのレグルあるいはレーグルの息子で、レーグル(ド・モー)と署名していた。彼の仲間は、手軽に、ボシュエと呼んでいた。(三部四編一章/佐藤朔訳)


 この部分を読んで、レーグル・ド・モーがボシュエになる理由がわかる日本人がどれだけいるでしょう。
 私はわかりませんでした。
 つーか、わかるかこんなもん。

 私が初めて読んだ新潮、岩波にはこのことに関する訳注が無く、またその頃はインターネットなど使った事もなかったのでわからないまま時は過ぎ、一年ほどたったある日、図書館でふと目にした河出書房版をめくっていた時、突然手がかりが見つかりました。


 十七世紀の大作家で雄弁家のボシュエはモーの司教であった。(河出訳注)


 慌てて世界人名辞典を引くと、簡単に出てきました(泣)。


  ボシュエ Bossuet, Jecques Benigne (仏 1627〜1704)

 神学者、雄弁家、歴史家。ディヨン生まれ。パリで学び、1669年コンドムの司教、70〜81年太子師伝、72年アカデミー会員、81年モーの司教となり『モーの鷲』と呼ばれ、97年枢密院顧問官。彼はルイ十四世の絶対主義的王権神授説を奉じ、得意の雄弁と熱をもって法王の教義と利益との合致を力説、一方神秘主義的クェティストやプロテスタントに対しては激しい駁論をもって徹底的に戦った。82年ガリカ教会の自由を宣言、またナントの勅令廃止にも関与した。『説教及弔辞集』は今日もなお重要な問題を含み『世界史論』(1861)はカトリック的観点による哲学的歴史の嚆矢とされる。著書上記のほか『プロテスタント教会分派史』(1688)、『聖書の言葉から引き出された政治論』(1709)等。

                      (新版 世界人名辞典 西洋編/東京堂出版)


 大学の受験科目に世界史を選択した人は、王権神授説がらみで一度はこの人に出会っていると思います。
 つまり、レーグル・ド・モー(L'Aigle de Meaux=モーの鷲)というあだ名のボシュエという人がいたから、綴りは違っても同じ読みの、レーグル・ド・モー(Lesgle de Meaux)という名前の彼は反対にボシュエというあだ名がつけられたという。ああややこしい。

 いわゆる「偉人」ですから、おそらくフランス人ならすぐにこの連想がわかるんでしょうね。レーグルだけではボシュエとのつながりがわからなかったマリユスも、ド・モーがつくんだ、と言われたらすぐにわかったようですから(それ以上何も言いませんでしたから)。
 彼の父親と王様とのやりとりのエピソードも、次の章の題「ブロンドーに対するボシュエの弔辞」というのも(いや、章自体が)、ですから全部洒落なんですね。


 余談ながら、王権神授説は「君主の権力は神から授けられたものであり、人民に反抗の権利はないとする説(広辞苑より)」ですから、彼らABC友の会の掲げる共和主義とは真っ向から対立する主張です。
 そんな説を唱えた人の名前を持ってきて、本名とあだ名ひっくり返して共和派のキャラクターの名前にしてしまう辺り、ユゴーってほんと皮肉なユーモア精神の持ち主だなあと思います。