The Longest Goodbye





 マリユスが見えなくなったので、クールフェラックはパニックを起こした。あのバリケードの夜以来、一度も彼の姿を見ていない。
『どこへ消えたんだ』
 クールフェラックは心配で気が気でなくなった。
『あの混乱の中で、彼を見失ってしまった。最後に見た時は顔中血だらけにしていたが、まさかあのまま死んでしまったのか? あの積み重なった死体の中にマリユスもいたんだろうか。それとも、生きて捕虜になったのか』
『いずれにせよ』と、クールフェラックは考えた。『奴を捜さなけりゃ』
 彼はマリユスの行きそうな場所を走り回った。集まって騒いだカフェ、連れだって出掛けた劇場、もしや戻っていないかと思って自分の部屋にも帰ってみたが、誰も来た気配がなかったのですぐに出た。夢中のあまり、周りがほとんどぼやけて見えた。マリユスはどこにもいなかった。
『やっぱり死んでいるのか?』
 それでも諦めきれなくて捜し続けた。
 捜し始めて幾日も経ったある日、クールフェラックはふらりとカフェ・コラントのバリケード跡に戻ってきた。会えると期待したわけではない、ただ他にもう心当たりがないだけのことだった。
 彼らの作ったバリケードはもうあらかた片づけられかけていた。道をふさいでいたがらくたは運び去られるか、とりあえず脇によけられて通れるようになっていたが、誰も敢えて近づこうとはしていなかった。半壊状態のカフェにも入ろうと思えば簡単に入れそうだったので、クールフェラックは壊れた入口まで近寄ってみた。
 カフェの中にはあちこちに血や泥の跡が残り、椅子やテーブルが散乱して、かつての小綺麗さは見る影もなかった。折れた木材を跨いで店内に足を踏み入れたところで、彼は自分以外にも人がいることに気がついて足を止めた。その人影は、荒れ果てた薄暗い店の中で、まるで場違いなブロンズ像のように身動き一つしないで立っていた。
 クールフェラックは思わず大声をあげた。
『マリユス!』
 その声に、人影は跳びあがらんばかりに驚いて戸口を振り返った。
 それは本当にマリユスだった。彼は驚愕に目を見開いてクールフェラックを見つめ返した。もう頭から血を流してはいなかった。いくぶん青ざめた顔をしてはいたが、真新しい服を着て、すっかり元気になったように見えた。
『マリユス!マリユス!マリユス!マリユス!』
 クールフェラックは叫びながら、呆然と突っ立っているマリユスに駆け寄り、その肩をつかまえて乱暴に抱きしめた。
『いったい今までどこにいたんだ? ずいぶん捜したんだぞ!怪我はもう大丈夫なのか?』
 上背のあるクールフェラックに腕ごと抱きすくめられて、マリユスは突然のことに思わず膝を折りそうになった。慌てて力を緩めると、マリユスは馬鹿のようにぽかんと口を開けてクールフェラックの顔を見つめた。
 操り手のいない人形のように力が抜けたまま、マリユスがあまりに無反応なので、クールフェラックは彼の体を軽く揺さぶった。
『どうしたっていうんだ、おい?』
 マリユスは答えなかった。彼は不意に現実に立ち返ったように静かにクールフェラックの腕を振り払うと、代わりに彼の片手をとって自分の両手で握りしめた。彼はその手を口元へ持っていって、目を伏せたままそっと口接けた。
 あたたかい吐息が指にかかるのを感じ、クールフェラックは戸惑って手を引っ込めようとした。だがマリユスは手を放そうとせず、二度三度とそのやわらかい唇をクールフェラックの指に押し当て続けた。
 クールフェラックは仕方なくそのままにさせておいたが、うつむいたマリユスの目から涙が数滴床に落ちたのに気がついて、びっくりして声をかけた。
『マリユス? なんで泣くんだ?』
 マリユスは掴んだ手をいっそう強く握りしめて、籠もった嗚咽を漏らした。
「クールフェラック、君は死んだんだ」
 彼は涙でつっかえながら、クールフェラックの手に向かって囁いた。
「君は死んだんだ。みんな死んで、僕だけ生き残った。誰かが助けてくれたんだ。でも君はあの時死んだ。君は死んでるんだ、クールフェラック!」
 クールフェラックは驚き、唖然とした。とっさに何か言い返そうとしたが、口を開けても言葉は出て来ず、代わりに、突然すべてが腑に落ちて嬉しさがこみあげてきた。彼は残った片手でマリユスの手を上から力強く握り返した。
『そうか!じゃ、君は生きてて無事なんだな!』
 それで最後だった。次の瞬間、マリユスの両手は空を掴んでいた。


 マリユスは広間の入口に、もとはドアがあったところに寄りかかった。足下には砕かれたドアの破片がまだ散らばっており、板きれの上に文字が読みとれた。「汝得べくんば‥‥」彼の友が書きつけた詩句だった。
 あとからあとから溢れ出る涙が頬をつたって流れ落ちた。すべてが非現実的で、よってたかって世界中にだまされているような気がした。バリケードも、激しい戦いも、何もかも夢の中の出来事のようだった。だが友はもういない。友はもういない。



End.





 note:

 と、いう夢を見たので(爆)脚色して文章に起こしてみました。やるじゃないか私の右脳(笑)。いえ、クールフェラックはマリユスのことこんなふうには心配してないと思いますが。
 本当ならマリユスはバリケードの後四ヶ月ほど生死の境をさまよっているはずなので、彼も生霊ですね、これ。