無邪気な頃の夢

Childhood Dreams

Written by Daegaer
Translated by Chicory






「子供の時、大きくなったら何になりたいって思ってた?」
 明るく照りつける太陽の下、マーティンは目を細めてアーサーを見ながらそんなことを言った。
 アーサーは呆れた顔つきになった。まさしく、自分の彼女が書いた本を読みかじっておせっかいを吹き込まれたマーティンが、何杯かあおった後で聞きそうなことだ。
「さあね。消防士か電車の運転手か宇宙飛行士か、そんなとこだよ。正直言って、ラジオ局で働いてるほうがよっぽどいいな。天井から燃える梁が落ちてくるなんて目に遭う可能性もずっと低いし。君は昔から教育の分野に行きたかったのか?」
「俺はいつだって教師になりたいと思ってたよ」マーティンは気取って答えた。「俺が例の中学校でやった革新的な美術の学習プログラム、覚えてるか?」
「それってあの時のかい、君が十六歳の女子生徒と ー」と、アーサーは悪気もなく言った。
「黙れ」マーティンは不機嫌に言い返し、ビターを一気に飲み干した。
 アーサーは笑いをかみ殺しながら顔を上げ、日の光で温まった木のテーブルの上に重度の疲労と飲み過ぎでぐったり頭を休めているフォードを見やった。
「もう一杯どうだ、フォード?」
 フォードはおぼつかない手つきで空のグラスをアーサーの方にちょいと押しやった。アーサーがマーティンに目で問いかけると、彼は力強く頷いた。
 アーサーが薄暗いパブからビアガーデンに戻ってきた時、マーティンはフォードの肩をつついていた。
「こいつ、死んでるよ」グラスを受け取りながらマーティンが言った。「俺の言う事に答えないんだぜ」
「お前が下らねえこと聞くからだろ」と、フォードが呟いた。
「いいじゃんかよ、お前は子供の時何になりたかったんだ? ずっと俳優やりたいって思ってたのか?」
「覚えてねえよ。もう二百年も前の話なんだから」フォードは、もらったグラスをアーサーがまた取り上げてしまうと思っているかのようにしっかりと掴んで言った。
「ほーらな、それがお前の問題なんだよ。子供の頃の気持ちを忘れちまってるんだ。俺みたいに知的好奇心ってものがない。教育は人の精神を若く保つんだ。いつも違った人々と出会い、新しい物事を学ぶのさ。お前だって、ちょっと無邪気な情熱を心に持ち続けていりゃあ、仕事だってもっともらえるかもしれないのに」
「おい、マーティン」アーサーが割り込んだ。「ちょっと言い過ぎだ。もうその辺にして、楽しく飲もう ー」
「いい加減にしろよ、てめえ」
 フォードが言った。その声の調子にアーサーは心配になったが、それも彼の顔を見るまでだった。フォードは頭をもたげ、すわった目で、今聞こえたのはふくろうの音じゃない、絶対そうじゃない、と自分に言い聞かせているネズミのような表情になり始めたマーティンを睨みつけていた。
 フォードはテーブルの上に少し身を乗り出した。マーティンとアーサーは二人ともたじろいで、少し後ろへ身を引いた。
「俺はな」フォードは言った。「子供の時、旅行作家になりたかったんだ。俺の知ってる奴が誰も行ったことのない場所に行って、新しい発見をしたかった。酸素呼吸系の生物には未知の薄暗い世界に立って、古代の太陽がいくつも地平線上に燃え上がり、俺には見ることができても素手では絶対触ることのできない景色を照らし出すのを見たいと思ってた。伝統ある文明世界の一番洗練されたレストランに行って、そこのメニューを酷評したレビューを書いて万人に読ませてやりたかった。任務で紛争地帯に派遣されて六ヶ月パブに隠れながら適当にレポートでっちあげて危険手当を請求したり、優美でエキゾチックな種族を訪ねて一緒にベッドに行こうってそいつらを説得したり、自分の身分を利用して最新流行のロックコンサートの楽屋パーティーに潜り込んだりしてやりたかった。俺は名を為したかったんだ。人がちゃんと発音できる名前をな。それだけのことを全部やって、故郷に戻って、いとこ全員にいとこん中で一番クールな奴だって尊敬されたかった。たとえその時、それでめちゃくちゃ反感を買ったとしてもだ。俺はうちの一族にかつてあったこともない、最高の誉れにして最低の恥さらしになりたかったんだ。そして今、俺はこの吹けば飛ぶような国のけちくさい政府が、一人の独身男がゆっくり飢えていくのには充分だと考えた額の金でぎりぎり生き長らえてる、仕事にあぶれた役者ってわけだ。質問の答えはこれでいいか、マーティン? もし俺がこういう社会的なコミュニケーションのあり方をちゃんと把握してなくても許せよな。そりゃ多分、俺に無邪気な情熱とやらが欠けてるせいだよ」
「え、あ」と、マーティンは声を出した。
 フォードは立ち上がるとつかつかと大股に部屋の隅へ歩み去った。彼はそこに立って、やけに惨めっぽい鉢植えのヤシの木を睨み殺そうとし始めたようだった。
「あ、僕が話してくるよ」
 アーサーは、ショックで呆然としたままのマーティンの顔を見ずに済む口実を見つけて胸を撫で下ろした。彼はそっとフォードに近づいた。
「おい、フォード。大丈夫か?」
「いや」とフォードは打ち解けた口調で答えた。「うちが恋しい」
「そうか。ギルフォードまで車出してやろうか?」
 フォードは顔を上げてアーサーを見た。その顔を見たアーサーは突然、ふるさとに帰りたいという激しい感情に襲われた。更に、悪酔いした上に泣いているフォードの面倒を見る羽目になるのではないかという強烈な不安にも。役者は感情的なものだ。
「泣きたいのか?」彼はびくつきながら尋ねた。
「いや、できない」
「うん‥‥その、もし泣きたいんだったら泣けよ、フォード。今は70年代だ。誰も君の事を見損なったりしないさ」
 フォードは鼻を鳴らし、普段よりも少しあやふやな笑みを浮かべた。
「違うよ。俺は単に生理学上、泣くっていう感情表現ができないだけなんだ。‥‥気にすんな、アーサー。俺は意味の通じないことを口走ってるだけの、ただの酔っぱらいさ」
 フォードはテーブルの方を振り返った。
「あいつに謝った方がいいかな?」
「君がその気ならね」アーサーは笑って答えた。「彼も、もうつまらないことは聞いてこないと思うよ」
 フォードはアーサーをじっと見つめた。
「お前はいい奴だな、アーサー。一杯おごらせてくれ、昨日失業手当が入ったんだ。いつかお前をミリウェイズに連れてって、本当の酒ってものを飲ませてやるよ」
「そりゃ楽しそうだ」
 フォードの不確かな笑顔が、彼が喜んでいる時の狂気じみたものに変わったので、アーサーはほっとした。
 そして三人は、残りの暖かい夏の夕べを楽しく酔っ払って過ごした。もう誰も、探りを入れるような事は聞かなかった。



End.





 訳者あとがき:

 地球でホームシックに苛まれるフォード、というのは私のひねくれた好物の一つですが、この作品は二人の言動が本当に彼ららしくてとても説得力があると思います。ごく常識的な範囲で優しく、友達の力になろうとするアーサーが素敵。そしてフォードの台詞では何度も爆笑させられました。発音できる名前。最高です。
 ちなみにこのマーティンというのは「クロイドンのマーティン・スミス」だそうです。こういう芸の細かさ、大好きです。

 Thank you so much to Daegaer for permitting me to translate this fic and use it on my site!
 Updated 19 February 2006