アンジョルラス受難





 その日、少し遅めにカフェ・ミュザンにやってきたアンジョルラスは、奥の部屋のドアの前に立った時、なんとなくいつもより中が騒がしいような気がした。人数が多いというのではなく、みんなして何かゲームに興じてでもいるような。彼はドアノブに手をかけて一瞬ためらったが、すぐに思い直してドアを押し開けた。
 途端に、わっと喧噪が襲いかかってきた。
「冗談じゃないね、こんな結果は全く信用に値しないよ!全っ然、当たってない!」
「だからクールフェラック、ただのゲームなんだってば」
「ああでもちょっとわかる気がするなあ、気持ちの上での話だけど」
「おい、どうなった? 見せてみろよ」
「なかなか面白いね。なんとなく納得できそうなあたりが」
「君はどうだったんだよ、ボシュエ!」
 立っていたり椅子に座っていたりする学生達の真ん中で、机の上に腰掛けて脚を組み、愉快そうに笑っているのはレーグルだった。彼が、何だか知らないがこのゲームの「親」なのだろうか、と何気なくアンジョルラスが目線を向けると、たまたまこちらを見たレーグルとばったり目が合ってしまった。レーグルはヒュッと口笛を吹いた。
「アンジョルラス!グッドタイミング!」
 その一言で全員が驚いて口をつぐみ、一斉に戸口に立つアンジョルラスの方を振り返った。一気に水を打ったように静まりかえる室内。
「ああ、‥‥おはよう」アンジョルラスは戸惑った。「別に、君らのゲームに水をさすつもりはなかったんだ。気にせず続けてくれ」
「いやいや、せっかくこの場に現れたのだから君も参加してくれたまえよ、アンジョルラス、我らがリーダーよ!どうだいみんな、今度は彼に答えてもらおうじゃないか?」
 賛成、という声と、ええっ、という抗議の声とが同時に上がった。アンジョルラスはわけがわからない。
「何だ? どういう ―」
「ちょっと待った!」コンブフェールが手を挙げた。「この状況は彼に分が悪すぎるよ。確かに僕らはたった今君の出した質問にそれぞれ答えたわけだが、既にその解答を知ってしまっている。答えを知った十数人に囲まれて一人だけ試されるというのは、気分のいいものではないだろう?」
「うん、確かに君の言うとおりだね」
 レーグルが言った。相変わらず顔はにやついたままである。
「とりあえず説明だけしてみれば?」レーグルの傍らに立っていたジョリーが共犯者めいた笑みを浮かべて言った。「その上で彼自身の意向を聞くということでさ」
「よし、じゃあ、それでいいかな?」
 レーグルは机の上からぐるりと全員の顔を見渡した。コンブフェールは軽く頷き、他に異議のありそうな者もいなかったので、彼は床に降り立ち、仲間達を背にしてアンジョルラスと向かい合った。
「これはね、アンジョルラス、心理ゲームってやつなんだ。僕が君に簡単な質問をする。君はそれに対して思いついたことを答えてくれればいい。あんまり深く考え込まないように。勿論、質問には罠がしかけられていて、君が考えもつかなかった君自身の深層心理が浮かび上がってくるようになっている」
 ここまで言うと、レーグルは小首を傾げて笑い声を洩らした。
「うん、でも君も入ってきた時みんなの言ってたこと聞いただろ? そうそう当たるようなものじゃないんだよ。だから軽い気持ちで、やってみないか?」
「‥‥ああ、まあ、そんなものなら‥‥」
 低い歓声があちこちから上がった。アンジョルラスは、レーグルの説明は一応理解したものの、仲間達のこの盛り上がりようが今一納得できていなかった。大したことないんだったら、一体どうしてみんなそんなに熱狂しているんだ?
 その問いが口に出される前に、レーグルが声をあげた。
「じゃ、僕はこれから五つの色を提示する。君はその色から思いつく人物を一人ずつ答えていってくれ。なるべく身近な人でね。まず『赤』だ」
 アンジョルラスは立ったまま腕を組んだ。赤と聞いてとっさに思い浮かぶ身近な人間といえば。
「クールフェラック」
「ぐっ!」
 不快な音の後に、激しく咳きこむ音が部屋中に響いた。クールフェラックが飲んでいたコーヒーを思いっきり気管の方へ流し込んでしまったのである。
「ク、クールフェラック!大丈夫かい?」
 プルヴェールが慌てて駆け寄り、息を詰まらせているクールフェラックの背中をさすってやった。アンジョルラスがぽかんとして見ているうちにクールフェラックはなんとか息を整え、顔に血を上らせたまま、全然わけがわからないでいるアンジョルラスを睨みつけた。
「おいおいおいおい、冗談きついぜ!どうして赤で僕なんだよ!」
「だって、赤といえば情熱の色だろう。そこから一番にイメージする身近な人間といえば君で‥‥」
「そんなバカ正直な答え方するな!」
「まあまあ、落ち着きたまえ青年。まだ一つ目だよ」
 レーグルが澄ました顔で二人の間に割って入った。プルヴェールがそれに続いた。
「そうだよ、当たるものじゃないってさっき自分で言ってたじゃないか」
「これは名誉の問題だっ!」
「いやそんな大げさな‥‥」
 なおもくってかかってこようとするクールフェラックをプルヴェールが一生懸命なだめようとしているのを後目に、レーグルはアンジョルラスに向き直った。
「じゃ、次いくよ。『白』」
「‥‥プルヴェール」
 他意のないアンジョルラスの回答に、クールフェラックをなだめるプルヴェールの手がびくっと止まった。彼はぎこちなく首を回してアンジョルラスの方を向くと、みるみるうちに首から耳まで真っ赤になっていった。
「わ!か‥‥顔が熱いっっ」
「おい、当たりやしないんじゃなかったのか?」
 クールフェラックが呆れ声で言ったが、プルヴェールは聞く耳持たぬ様子でおろおろしているばかりである。ジョリーが可笑しそうに口を挟んだ。
「処置無しだね。ところでどうして白でプルヴェールなんだい?」
 アンジョルラスは首を振った。
「別に‥‥白ってイメージしないか、プルヴェールは」
「うーん、僕はどちらかというと黄色かピンクとかだと思うんだけど」
「余計な口出すなよ、ジョリー。これはアンジョルラスの主観なんだから」
 レーグルはそう言ってちらりとプルヴェールを見たが、やはり『処置無し』と思ったのか、肩をすくめるだけに留めた。
「いやあ君も罪な男だね、アンジョルラス‥‥」
「何が」
「さっさと次いこうか。『茶色』」
 アンジョルラスはうつむいて少し考え込んだ。茶色のイメージの人物はなかなか思いつかない。
 何が何だかわからないでいるうちに、すっかりレーグルのペースに乗せられている。そのレーグルにもう一度目を向けると、彼の茶色の上着が目に入った。
「君だ。レーグル」
 おおっ、と部屋にどよめきが走った。レーグルはぱっと顔を輝かせた。
「僕か!」
「そうだよ、どうしたんだ?」
 今度はどんな反応が返ってくるのかとアンジョルラスは一瞬ひるんだが、レーグルはただ楽しそうに笑っただけだった。
「あと二つだよ。次は『黄色』」
 アンジョルラスは部屋中の人間に注視されているのが落ち着かなくなってきて、側の机に寄りかかった。普段どれだけ人前で演説をぶとうが疲れることなどないのに。
「黄色か‥‥コンブフェールだな」
 納得したような雰囲気が流れた。コンブフェールは静かに座っている姿勢を崩さず、
「光栄だよ」
 とにっこり笑った。
「あと一つだな?」
「ああ、じゃあ言うよ。『紫』」
 不幸な回答者は一秒の間ののち、簡潔に答えた。
「グランテールだ」
 言った途端、部屋の空気がまるで波が引くようにざあっと自分の周りから引いたのを感じてアンジョルラスはぎょっとした。自分の答えが原因で全員が声も出ないほどショックを受けているのはみんなの顔を見ればわかったが、自分がどれだけおかしなことを言ったのかはさっぱりわからなかった。ただレーグルだけは、目を丸くしてはいるものの、彼独特の笑いを含んだ表情をしていた。
「お、おい‥‥どうしたんだ、みんな‥‥? レーグル‥‥?」
「‥‥へえ、グランテールかあ。ま、いいけどね? 答え終わったんだから、タネ明かしといこうか」
 レーグルは元のにこやかな笑顔に戻ると、ポケットからメモを取り出して読み上げた。
「『赤』は愛人、『白』は結婚相手、『茶色』は苦手な人、『黄色』は友人、そして『紫』はセックスフレンド。以上!」
「‥‥は?」
 アンジョルラスが理解不能に陥っているのを見て、レーグルはいっそう楽しそうに笑いながら説明をくり返した。
「だから、『赤』が愛人で、『白』が結婚相手で」
 クールフェラックが腕を組んであさってを向いた。プルヴェールはまたもや赤みのさしてきた頬に両手を当て、はずかしそうにうつむいた。
「『茶色』は苦手な人で、『黄色』が友人。で、『紫』が‥‥」
「じょっ、冗談じゃないっ!」
 アンジョルラスは思わず大声で叫んでテーブルに拳を叩きつけた。顔は怒りのために赤くなっている。
「どうして僕がグランテールを‥‥そんな、全然当たってないぞっ!みんなっ、信じるなよ!どこの誰が考え出したたわごとか知らないが、こんなもの、全く‥‥馬鹿馬鹿しいっ!」
「アンジョルラスがこんなに慌てるなんて‥‥」
 すっかり引いてしまっている全員の意見を代弁するかのように、マリユスが青ざめて呟いた。
「もしかして‥‥」
「違うっ、マリユス!」
「そっかーお前らそーゆー仲だったのかー。女に興味がないと思ってたら」
「彼に冷たくしてたのは、あれはカムフラージュだったのか?」
「バオレル!フィイ!やめろ、くだらない!」
「あの、僕たち‥‥差別したりとかしないから」
「そうそう、えっと、気にしないよ」
「そんな珍しいことでもないし? 君がいいならそれで‥‥」
「違うって言ってるだろ―――っっ!!」


 新たに巻き起こった喧噪からひそかに逃れたレーグルとジョリーは、部屋の隅で酒瓶に囲まれて眠りこけているグランテールの隣に避難して高みの見物を決め込んでいた。
「‥‥全く人が悪いよ、レーグル・ド・モー。なるべく異性を選んだ方がいいとか、該当者なしでパスしてもいいとか、そういうのアンジョルラスにだけは言わないんだもの」
「該当者なしじゃつまらないだろ? それに彼の身近な異性なんて母親ぐらいのものだよ、きっと」
「まあね。それにしても」
 ジョリーは部屋の反対側を気の毒そうに見やりながらため息をついた。
「あーあ。アンジョルラスも、いつもの調子で『くだらない』とか言って片づけちゃえば何も言われないのに。不必要に慌てるから」
「うん、一直線な人だからね、彼も」
「やっぱりわかっててやったろ、君。彼が君を苦手としているっていうのだけは当たってたんじゃないか?」
「偶然だって。こんなの、あてずっぽうでいい加減なただのゲームさ」
 レーグルは芝居がかった仕草で肩をすくめ、平和な顔で深い眠りに落ちているグランテールを見た。
「こいつが起きてたら、もっと面白い騒ぎになったかな?」
「そしてアンジョルラスがもっと大変なことになってただろうね」
 収拾のつかない騒ぎをよそに、レーグルとジョリーは顔を見合わせるといかにも可笑しそうに吹き出した。


 その後、アンジョルラスは前にも増してグランテールに冷たくあたるようになったが、この何も知らない哀れな崇拝者にこれまで以上の非があったわけでは、勿論なかった。



End.





 note:

 高校の時に書いたものの加筆修正版です。この時既にレーグル×ジョリーだった私。出す予定のなかったマリユスを、最後無理矢理出しました。やっぱ、いないと寂しいかも‥‥と思って。彼だってみんなと遊んだことぐらいあるかもしれないですし。

レーグル「そういえば、君の答えは?」
ジョリー「僕? 赤がミュジシェッタで、白がミュジシェッタ、茶色がミュジシェッタ、黄色がミュジシェッタ、で紫がミュジシェッタ!」
レーグル「うん。君のそういう常識のないとこ、大好きだよ」

 ↑うちの二人の基本形(笑)。