眼鏡

Glasses

Written by Ivy
Translated by Chicory






 ジョリーは、まるで戦いの準備を整えている最中の将軍のような勢いで居間に駆け込んできた。
「ボシュエ!」と今度は、敗北して敵に捕らえられ、縛られて火炙りにされようとしている将軍のような声で彼は言った。「僕の眼鏡が見つからないんだ」
 返ってきた答えは、とても同情的と言えるものではなかった。「君の頭の上だよ」ボシュエは読んでいる本から目も上げず、ぼんやりと答えた。
 ジョリーは腕を組んだ。「全く」彼は厳粛さを捨て、非難めいた口調になった。「君はそんなありきたりで平々凡々な台詞しか言えないのかい」
「僕らは舞台の上にいるわけじゃないだろ? 今のは僕が思いつく限り最高の答えで、ついでながら真実だよ。次に眼鏡をなくす時は、教えておいてくれれば時間をかけて何か適切で独創的な答えを用意しておくさ」ジョリーが憤然として抗議しかけたので、ボシュエは笑いを押し隠した。「けど、それで間違っても僕を責めないでくれよ」
「そういうこと言ってるんじゃないよ」
 ボシュエは肩をすくめてページをめくった。少しの間、二人の間に落ちた沈黙を破るのはジョリーが時たまつく溜息だけになった。部屋の中を六回も行ったり来たりし、また一、二分ほどもこれ見よがしに足を軽く打ち鳴らしてみてから、ジョリーは、ボシュエが本当にもう彼を相手にするつもりがないことに気がついた。
「見てもいないくせに」と、彼はついに口を開いた。
「うん?」
「僕の頭の上にあるって言った時だよ。君は見もしなかったじゃないか」
「僕を信じなさい。そこにあるから」
「僕は頭の上に眼鏡を置きっぱなしにして忘れるほどぼんやりしてないよ」
 ジョリーはボシュエが本の後ろでにやりとしたのがわかった。
「多分、君今日は運がないんだよ」
「真面目な話、どこにあるんだ? 今度は顔を上げるくらいしてくれないか?」
 心ならずも口元が歪むのを抑えきれないまま、ボシュエは本を下げた。「誓ってもいい。そうだね‥‥」と言って、彼はもう一度分厚い本に目を落とした。「ノートル・ダム寺院の全ての鐘と、文字の読める山羊に誓って眼鏡はそこにある。君の、頭の、上に」
「あのねえ、」と言って、ジョリーは眉を上げた。「君がいったい何の本を読んでいるんだか知らないけど、」
「僕に何だかんだ言う前に、その頭の上のレンズを下ろしなよ」ボシュエは軽やかに相手の言葉を遮った。「勿論、それこそまさに君のしたいことだろう。さっさとしたらどうだい、止めやしないよ」
 ジョリーは激昂してかぶりを振った。「できるものならそうしてるさ、けどあそこの鏡に映ってるのがはっきり見えるじゃないか、眼鏡は、そこには、ないんだ」彼は目を細めて物思わしげに友人を見つめた。「君もかけてみたらどう‥‥」
「あのね、部屋の向こう側にある鏡がちゃんと見えるんだったら、君には眼鏡は全然必要ないよ」彼は茶化すような答えのあとに、素早く言い足した。「それに、僕は顔にそんなもの据え付ける気にはなれないね」
「どうしてさ? 役に立つと思うけどな」
「まず第一に、僕にそんなもの買う余裕があるとは思えない。第二に、置きっぱなしにして忘れられるような髪の毛もない」
「ボシュエ、悪いけどそれ全っ然面白くないよ。今度も、もっと独創的な答え作るのに時間あげた方がいいのかい?」
 ボシュエは少し引き下がるような態度になった。「君は優秀な医学者だろ、自分で判断したとおりにしなよ。ただ僕は、君の視力には何ら全く問題ないと言わせてもらうけどね。っていうか、君がそれ買う前にも同じこと言ったように思うんだけど?」
 ジョリーはわざとらしく指で額を叩いた。「言ってたかもね、うん。とはいえ、僕は優秀な医学者だから、君のより信頼の置ける自分自身の忠告を聞きいれたんだ」
「でも君は結局、今もこれからも全然使う必要のない、すぐどこかにいってしまう物に大金を使っちゃったんだろ」とボシュエはやり返した。
「僕には要るんだってば」
 ジョリーは、自分がまるで九才の子供みたいに見えるということに気づきも気を回しもせず、苛立って言い返した。彼にしてみれば、その絶え間ない健康への渇望を馬鹿にするものは、なんであれ即座に言い返されるべきなのだった。
「ほんとに必要なんだよ」彼は安っぽいメロドラマの主人公のように胸の上に手を当てて繰り返した。「ものがよく見えなかったら、いったいどうやって部屋の中で眼鏡を探せっていうのさ。それに外に夕食を食べに出ようと思ってたのに、目が見えてないんじゃ全くの自殺行為だ、とくにこのパリでは。そして君はといえば座りこんで鐘やら山羊やらの出てくる話を読むのに夢中で、全然手を貸してくれる気がないときた。全く、君の本の趣味には時々困惑させられるよ。だが今言ったように、僕はこの無慈悲な街で永遠にさまよい歩く運命なんだ。全ては空腹で死にかけているのと、そして君のせいだ、いつだって我が最愛にして最も信頼のおける友人だと思っていた君、その君が僕の危機に及んで指一本も動かそうとしてくれないなんて」
 それだけ言ってしまうと、彼はボシュエの隣に惨めっぽく腰を落とした。
「君の即興ひとり芝居のために、僕は花束の店をはじめるべきだな」
 ボシュエは、友の諦めたように力無く垂れた頭をじっと眺めながら呟いた。
「そりゃ素敵だね」くぐもった声で返事が返ってきた。「それをちゃんと見てやれないのが残念だよ」
 ボシュエはため息をつきながら、ジョリーの顔をまっすぐに持ち上げた。
「君はどうっしようもない奴だよ、わかってるのかい?」にやりと笑って、「ほんとに救いようがない。さてと」と彼は続けた。「よく見ときなよ、僕が君のために指一本も動かさなかったなんて後で言われるのは嫌だからね」
 ボシュエがもったいぶった仕草でゆっくりと人差し指を立てたので、ジョリーはむっとした顔になった。
「いいとも、ボシュエ、了解し」
 ボシュエはジョリーの頭の上から、その指に眼鏡をひっかけて持ち上げた。
「了解しました?」
 と、彼は相手の語尾を引き取って言った。ジョリーは言葉を失って、むなしく口をぱくぱくさせた。
「よろしい」
 そう言って、ボシュエはジョリーの鼻先に眼鏡をぶらさげてやった。
 ジョリーは恥ずかしそうに微笑んだ。「ああ、うん、ありがと」彼は眼鏡を受け取ってかけ直すと、勝ち誇った声で言った。「な、だから僕には眼鏡が要るって言っただろ!」
 ボシュエは彼にクッションを投げつけた。



End.





 訳者あとがき:

 初めて読んだ時、なんて可愛いのこの二人ー!と舞い上がってその場で訳し始めてしまった作品です。神経質に騒ぐジョリーと、そんな親友のパターン知り尽くした風なレーグルのやりとりがとってもツボにはまってしまいました。
 海外ファンフィクションに、日本の「ほのぼの」に相当するカテゴリは見あたりませんが、この作品はほのぼのといってもいいような気がします。私の訳で原文のそんな雰囲気を少しでも伝えられていられますように。


 Thank you so much to Ivy for permitting me to translate this fic and use it on my site!
 Updated 9 June 04